ネパール・ヒマラヤで、エベレスト街道トレッキングに挑戦!!【5日目】:死を見た高山病の恐ろしさ

まさか自分がこんなことになるなんて。

高度約4000メートル、シャンボチェ付近で4日目の夜、私は高山病に襲われた。

エベレストシェルパリゾートで、コロッケ定食を夕食にいただいた後、外に出て、今までの生涯で見たこともないくらいの星空を見て気分をよくしていた時には、この数時間後に大変なことになるなんて予想だにしていなかった。

19時前に夕食を食べ終えて、星空も堪能した私は、単独の旅のためいつものようにこれ以上やることもなく、20時前にはベッドに入った。11月末。今晩も寒い。そりゃそうだ、今までで一番高いところまで登ってきたんだから、寒かったパクディンやナムチェよりも一層寒いに決まってる。

いつものように、ベッドの中に自分の寝袋を入れて、さらにこの晩は宿が用意してくれた湯たんぽも入れてベッドに入った。

ここ数日、トレッキング中の夜に眠れないことはそうそうなかった。日中6時間~8時間くらい歩き通しだし、体も疲れていたからだろう。けれども、今晩はなぜか寝付けない。今回のトレッキング行程の最終目的地まで到着した満足感でアドレナリンが出ているからなのか、それとも、3日間かけて登ったあの道を明日1日で一気に下らなければならない少々の不安からなのか。

30分か1時間か経った頃だっただろうか、咳が頻繁に出だしていることに気付いた。そんなにつらい咳ではないが、頻繁に出る。おかしいなあ、疲れか寒さで風邪でもひいたか、と考えて放っておいたら、咳はどんどんとひどくなっていった。

もう既に休んでいたガイドを起こして咳止めをもらい飲んだ。しかし、1時間経ってもいっこうに良くなる気配はないどころか、より悪化している気さえした。

そのうち、仰向けになっていると咳がよく出て、体を起こして座っていると咳が出ないことに気付いた。とはいえ、寝ないわけにはいかない。明日は3日間かけて登ってきた険しい山道を一気に1日で下るんだから。

仰向けになって寝ようとすると、こんどは痰がからんでくる。眠くてうすらうすら寝付いたと思ったら、痰がひどくて、自分の痰で溺れて呼吸ができなくなり、あっ!と起き上がる。また寝ようとするが、何度も痰で喉が詰まって起き上がる。そのうち、呼吸困難みたいになるのが怖くなって、横になることが怖くなってきたので、ベッドの中で体を起こした状態で寝てみようとしてみるが、なかなかこんな姿勢では寝付けない。

このころ、宿の遅いWIFIを使ってWEBでこの症状を調べてみた。すると、もしかすると、「肺水腫」という症状の可能性があることが分かった。肺水腫とは血液中の水分が肺の中に漏れてしまう症状で、本来空気で満たされるはずの肺に水分が入り込むため、酸素と二酸化炭素の交換がうまくいかなくなり、咳や痰、呼吸困難や、ゼーゼーという音のする呼吸などの症状が現れる。そして、「起坐呼吸」という、座って呼吸しているとつらくないらしい。まさにいまの私の症状にぴったりだ。

まさかそんなはずは、と思ったが、肺水腫は高山病の進化系として現れることもあるらしい。しかも、高山病の進化系で肺水腫になった場合は命の危険があるため、すぐさま下山をするべきと書いてある。

いや、高山病の進化系と言ったって、高山病の典型的な症状である頭痛は特にない。だから何かの間違いだ。心配のし過ぎだ、と最初は思っていた。しかし、さらに30分もすると、頭がどんどん痛くなってきた。加えて、熱っぽくもなってきた。WEBにも書いてある。熱も出ると。

これはいよいよ本当に肺水腫の可能性がある、とゾッとした。すぐにでも下山と書いてあるが、既に時刻は夜中の12時を回っている。今からガイドを起こしたところで、この街灯も無い暗黒の山道を下る判断をするはずもないし、自分で何とかするしかない。都会なら、本当に困った時にはどうにかなんとかしてもらえる機能が存在するが、こんな秘境では、しかもこんなオフシーズンで私しか泊まっていない宿では、自分がまずしっかりしなければならないと考えた。

もともと朝5時に起きる予定にしていて、目覚ましもかけてある。朝6時には下の食堂で朝食の予定だ。つまり、あと5時間か6時間なんとか持ちこたえれば下山できる。仰向けになると悪化するばかりなので、眠いのをこらえて、起坐呼吸をし続けることにした。

さらにWEBで調べると、肺水腫を処置せずに放っておくと、「脳浮腫」という症状になり、意識が朦朧とし、周りのことがどうでもよくなり、死の危険性がかなり高まる、と書いてある。

私は念のため、ロックしていた部屋の鍵を開けた。明朝、仮に自分が全く動けない状況になっていたとして、ガイドや宿の方がすぐに入って来られるように、と考えたのだ。

その嫌な予感は的中した。

朝5時、起坐呼吸を続けてベッドに座っているので、朝5時になったことは分かっている。しかし、起きることができないで、そのままでいる。

朝6時、朝食のため食堂に集合の時間だと分かっているが、ベッドから一歩も出ることができない。体が言うことを聞かないというよりは、分かってはいるんだけど全くやる気が起きないといった状態。

6時を10分も過ぎて私が降りてこないため、案の定、ガイドが部屋に飛び込んできた。鍵を開けておいて正解だった。

担ぐように下に連れていかれ、何か食べた方がいいと朝食を出されたが、一口も手をつける気にもなれない。

ガイドから「降りられるか?」と聞かれたので、弱々しい声で「降りられない」と答えた。でも下山はしなければならない。「馬で下るという手もある」とガイドは言うが、よほど馬乗りに慣れていない限り、馬でなんかあんな険しい道は下れない。世界一怖い吊り橋も渡ってきたんだ。あんなところをこんなフラフラな状態で馬に乗って渡ったらそれこそ落ちてしまいそうだ。

私の方から「ヘリコプターは出せませんか?」とほぼ呂律が回っていない口調で聞いた。ガイドと宿の人は「確認してみる」と。

すぐに戻ってきて、ヘリコプター要請可能だが、ルクラまでにするか、それともいっそのことカトマンズまでヘリコプターで行くか?と聞かれた。ルクラはこのトレッキングの出発点で2800メートル。カトマンズは国内線を使って戻るはずだった1400メートル。病状のことを考えれば、少しでも低地に降りた方が間違いないだろうが、金額を聞くと、カトマンズへは40万円だと言う。さすがに40万円は無理だ。ルクラへは?と聞くと10万円だと言うので、迷わずそれをお願いした。

ヘリは1時間で来るという。食堂で待っている間、寝ていたのか、どうしていたのか、もう記憶がない。とにかく、しばらく経ってから、「ヘリが来たぞ」「ヘリポートは無いので、近くの比較的なだらかな場所に着陸するので、そこまで行くぞ」という声とともに、ほとんど担がれながら移動したことだけを覚えている。

ヘリに乗るなんて生まれて初めての経験だ。これだけ海外出張や海外旅行をしまくってきた私でもヘリだけは乗ったことがなかった。なんか怖いから避けてきたというか。そんな中、生涯初めてのヘリに乗るんだから、ブログ用にも写真を撮りたいところだが、その時にはそんなことまで意識が巡らなかった。ゆえに写真は1枚も撮れていない。

3日間かけて登った山道は、あっという間に10分でルクラに到着した。何とも人類の文明はすごいことか。上から眺める景色は壮観だっただろう。あのスピーカーで爆音を鳴らしながら一緒に登ったポーター(荷物持ち)の青年は携帯でパシャパシャ写真を撮っていた。私は外を見る余裕も全くなかったが。

ルクラのヘリポートに到着すると、その日1日かけて降りて夜泊まるはずだったロッジに向かった。その距離の遠いこと。本来であればあっという間の距離なんだろうが、フラフラで肩を担がれながら千鳥足で歩く私にとっては永遠に着かないのではないか、と思えるほどの距離だった。

ロッジに着くと、もちろん早朝のため部屋も用意できていないので、中庭のベンチに座った。そこで爆睡。

ガイドから「ヘリコプター代の10万円を払いに行かなければならない」と起こされる。どうやらカードでは払えないらしく、現金のみらしい。もちろん10万円に相当するネパールルピーの現金は持ち合わせていないが、聞くとルクラにはATMも無いと言う。仕方ないので、どこかの土産物屋で10万円分買い物をしたことにして現金化してくれる店を探しに行く、とガイドが出て行った。その間私はまたベンチで爆睡した。

しばらくすると、ガイドからまたトントンと起こされる。お店が見つかったから行けるか?と。さすがに私からカードを預かって勝手に支払いをするわけにはいかないらしく、どうしても私も一緒に行かなければならなかった。この店までの距離もまた千鳥足で、永遠の距離のように感じた。

店に着くと、カードの処理をしたが、サインだったか暗証番号だったか、それを処理している間ですら立っていられなく、店のフロアにダランと腰を落としてしまった。

支払いを終えた後、またロッジに戻った。今度は宿が部屋を用意してくれたので、ベッドで休むことができる。ガイドが「本当はカトマンズに戻るフライトは明日だったが、もし今日に変更できるなら今日戻りたいか?」と聞くので、もちろん戻れるなら戻りたいと答えた。2800メートルと1400メートルとでは大きな差があると意識朦朧ながらに判断したからだ。

ガイドが空港まで変更手続きに行っている間、私は部屋のベッドでまた落ちるように爆睡した。

どのくらい寝ただろうか、ガイドが戻ってきて起こされた。空港といっても、ロッジを出て50メートルで空港だ。空港といっても、ターミナルビルも無いただの滑走路みたいな場所だ。おそらくそんなに長い時間は寝ていない。時計を見る余裕すらなかったが。

空港に歩いて移動し、自分の飛行機を待った。やっとここで時間を確認するくらいの余裕が出てきた。昼くらいだった。ただ、周りのことはほとんど意識に入ってこず、ただ言われたことだけ「この航空券を持っていてください」「ここで待っていてください」ということにだけ忠実に従うしかできなかった。

飛行機の時間が来て、乗り込む。世界一怖いと言われているこのルクラ空港での離陸にも、もはや興味も恐怖も感じる余裕はなかった。

30分後、カトマンズに到着。日本にいる家族が心配して旅行会社に電話をしていたらしく、その連絡がガイドに入ったようで、電話してあげてください、と。その場で電話した。よく考えてみれば、ヘリコプターで下山することが決まったという旨を連絡して以来、何も連絡をしていなかった。しかもその連絡は朦朧として打っていたので大いに文字化けしており、そりゃ心配するはずだ。申し訳なかった。電話ではなぜか口調もハキハキとしていて、強がっていたのか、毅然とした態度で、全く心配いらないというようなことを話していた。

しかし、その後、カトマンズのホテルに移動して到着したのが15時頃。チェックインしてから私は着替えもせず、倒れるようにベッドで爆睡し、次に起きたのが翌朝の8時だったのだ。実に18時間もぶっ続けで寝ていたことになる。

この睡眠のおかげか、1400メートルに降りてきたおかげか、咳はもう完全に止まっていた。頭痛もない。微熱だけはあるように感じるが、だいぶ体調が回復した。

まさか自分が、とはまさにこのことだ。正直甘く見ていた。アラフォーでまだ体力も十分あると思い込んでいた。また、4000メートルで大した高度ではないし、正直今回挑戦したルートは、60代のシニアトレッカーも行くようなルートだ。と、甘く見ていたことが反省だ。また、3000メートルを超えても夜寝る前に酒を飲んでいたことやタバコも吸っていたことも原因のひとつではないか、とガイドは言っていた。今回のことで、様々な人に心配や迷惑をかけたことを反省した。いろいろなことに挑戦するのは人生の楽しさだし、それは様々な形で続けてはいきたいが、情報不足、準備不足、認識不足、これは痛感した。人間は自然に生かされているもの。自然を甘く見ると痛い目に合う。今年は健康第一で行きたい。

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Author: admin

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