世界遺産パシュパティナートの火葬場で考える「輪廻転生」と「死」と「信仰」

パシュパティナートは、カトマンズにあるシヴァ神を祀るネパール最大のヒンドゥー教寺院だ。インド亜大陸でも4大シヴァ寺院とされており、ネパール国内だけでなくインドを含む海外からも多くの巡礼者が訪れる聖なる地だ。

「パシュパティナート寺院」自体にはヒンドゥー教徒以外は入ることが許されていないが、パシュパティナートの街には1000ルピー(約1000円)を払うことで入ることができる。

パシュパティナートの街は、ガンジス川の支流である「バクマティ川」の川岸にある。このバクマティ川、聖なる川として人々から崇められており、インドのバラナシのガンジス川と同様、死んだ人の遺体をこの川岸で焼き、遺灰をこの川に流すという場所となっている。

まずは街の入り口で1000ルピーを払って中に入る。

そして、バクマティ川に沿って歩みを進める。

早速、対岸で行われている火葬。

こちら側の岸には、占い師のような人が複数いて、地元民と思われる人たちが占いを受けている。

間もなく、対岸ではもう1つ別の火葬も始まった。

ガイドに話を聞くと、身分の高い者ほど、より上流で火葬されるのだそうだ。ここは下流だが、もう少し歩くと身分の高い人の火葬も行われているかも知れない、と言う。

この橋より先が、上流階級が火葬される「上流」だそうだ。この橋の上は火葬の様子がよく見える絶好のポイントだということで、観光客も含め人だかりができている。

橋のさらに先(上流階級の者が火葬される場所の対岸)は、ギャラリースペースかというような造りになっていて、ここにも多くの見物人が座っている。

しばらくすると、大量の花輪が運ばれてきて、段取りよく飾り付けがされていく。下流の火葬とは明らかに違う、豪華なお葬式だ。

そして、まもなくそこに遺体が運ばれてきた。

遺体の後ろから付いて歩いてくる親族が、声をあげて号泣している。号泣しすぎて歩けないくらいになっているのを、周りのスタッフらしき人が助けて火葬場まで連れてくる。

そして、それを橋の上あるいは向かいのギャラリーから見物している、私を含めた多くの観光客。写真撮影は禁止されていないが、私は声をあげて号泣する親族を目の当たりにして以降、写真を撮る気がなくなってしまった。

一体、一人の人間の死というものは何だろうか、と考えさせられた。私達にとっては観光目的・興味本位かもしれないが、あそこで泣きじゃくっている親族からすれば世界にたったひとりだったかも知れない大切な人を失い、お別れの場がここだ。

それであれば、こんな場に興味本位で来るべきではなかったのかも知れない、とも正直思った。しかし、この街は巡礼者だけではなく多くの観光客も訪れ、その入場料はこの街が成り立っていく上での収益にもなっている。

そんな表と裏と言おうか、倫理・道徳と現実のはざまと言おうか、生と死、動と静なのか、何とも言えない複雑な思いに駆られることとなった。

輪廻転生を信じ、墓を作らずに聖なる川で遺体を清め、遺灰を流すことが理想的な死であるとされるヒンドゥー教徒。一方、仏教では、死後は六道と呼ばれる6つの道、すなわち、生前の行いによって天道(極楽)、人間道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道(地獄)のいずれかに行くことになる、という教えとなっている。

やはり、信仰は人間を作ってきた。人間が信仰を作ったが、信仰が人間を作ってきたとも言える。太古の昔から、死とは恐怖そのものであり、その何人も避けることのできない恐怖を克服するために信仰があり、それが人々の心の支えになってきたのだ。そんなことをぼんやりと考えながら、火葬を見ていた。

ちなみに、この対岸のギャラリースペースの裏側には丘と森が広がっていて、時間が許せば散策することもできる。シヴァが滞在したとも言い伝えられている聖なる森だ。野生の猿やサドゥーと呼ばれる行者の姿も見ることができる。

橋を火葬場側に渡った先にあるパシュパティナート寺院は、ヒンドゥー教徒しか立ち入ることができない。シヴァの乗り物であった牛のお尻だけは外から見ることができるが、この先へは入れない。

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Author: admin

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